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自動運転は無人カー?運転席もハンドルもない?

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自動運転は無人カー?運転席もハンドルもない?2020年代に入り、一時期の自動運転への期待と盛り上がるメディア報道は一気に沈静化しました。なかにはSFのように、すべては無人で走るロボタクシーのみになり、マイカーという概念がなくなる、とまで訴えるメディアもありました。その頃の盛り上がりに比べると、まるで音沙汰がないかのようにメディアも落ち着いてしまいましたが、いったい現状はどうなっているのでしょうか。Web記事を引用してご紹介します。

●ITmedia ビジネスオンライン自動運転の夢と現実

あなたは自動運転社会がもうすぐやってくると思っているだろうか? なんて思わせぶりなことを書いておきながらなんだが、それはもう定義による。つまり自動運転って何なのだというお話である。

アプリから予約したロボタクシーが私の前でスッと止まった。もちろん運転手はいない。センサーにスマホをかざすと、予約ナンバーを照会して、ドアが自動で開いた。

乗り込んでシートベルトを閉めると、合成音声が乗車の礼を述べ、引き続き設定した目的地の確認を求めた。私が音声で同意し、出発の許可を与えるとクルマは走り出した。

私は鞄からタブレットを取り出して、リモート会議にアサインしてミーティングに集中した。

というSFじみた世の中なら当分来ないだろう。無粋の極みではあるが、何より法律が許さない。世界の運転条約には、国連傘下に、ジュネーブ条約とウィーン条約という2つの枠組みがあって、批准各国はこれらのルールに準拠して国内の運転関連法規を作っている。その中で、無人運転の禁止がうたわれているのだ。厳密にいえば、「車両には必ず運転者がいなくてはならない」と規定されている。

●国際ルールとのとの整合性
<中略>それはそうだ。自動運転ができるようになってメリットがある国なんて、先進国のそのまた一部の自動車生産国の、さらに技術的にリードしているような国々だけだ。数多い発展途上の国々にとって、それに合意することに何のメリットがあろうか? なのでほとんどの国がこの提言に興味なし。というか「お前らがもうかる話に賛成すると、何してくれるの?」という下世話な流れだ。地獄の沙汰も金次第。国連傘下組織と考えると、さもありなんという話になる。

この状態に収拾を付けるのに何年かかるのか、というよりそもそもまとまるのかすら怪しい。しかも法案ができて施行されるまでには時間がかかるし、その先には各国の法改正の手順が待っている。普通に考えて2年や3年でできるようなことではない。

テスラのCEO、イーロン・マスクは「2020年には完全自動運転のロボタクシー事業を開始する」と宣言していたが、その20年はすでに残り半年。法整備もできてないものをどうするつもりなのだろう? ということで、事業家が投資を募るための夢の未来の話と、本当に社会課題を解決する話はキチンと分けて考えるべきだ。

こういう電子ガジェット的未来感は、人々をワクワクさせる効果はあるかもしれないが、社会問題の解決には直結しない。技術というものは多くが、社会が持つ問題を解決するべく開発されるものなので、時価総額を暴騰させる資金集めが目的である場合を別とすれば、まずは社会の側の問題を把握しなくてはならない。

●求められるのは社会課題の解決

では自動運転に期待される社会の側の課題とは何か? それは大きく3つある。「安全」「環境」「効率化」の3つである。

日本の交通事故死亡者のピークは1970年の1万6765人。2019年にはこれが3215人まで減った。さまざまな要因があるが、ここからさらに大幅な削減をして死者ゼロを目指そうとすると、安全装置の充実や取締りの強化という従来的手法では限界がある。運転におけるヒューマンエラーを排除して、自動化する以外に打ち手がないのも事実だ。

また自動運転と交通管制システムが融合すれば、混雑が減り、無駄な時間とエネルギーがセーブでき、環境問題にも寄与する。それは社会全体の効率化を促進し、車内で過ごす時間が自由になれば、運転という労働から開放されて、その分運転より生産性の高い仕事をできる可能性がある。

だったらやっぱり自動運転は良いことじゃないか? と思う人がいるだろうが、そういう社会問題の解決のために必要なのは、適材適所で過剰な手段を見切る知恵とセットになっている必要がある。全部が全部、自動運転車両の導入というワンイシューで解決できる話ではないのだ。

例えば、都心のような過密エリアで、健康な大人が効率よく安全に移動するために自動運転車を使うとして、現地に到着した後はそのクルマは果たしてどうするのだろう? 経済効率を考えないのならば、都心の1時間3600円の駐車場に夜まで停めてもいいが、それも馬鹿らしい。かといって無人運転で自宅までクルマを戻せば、朝晩合わせて2往復もクルマが走ることになり、それではエネルギー効率が悪すぎるし、交通の混乱も拍車がかかってしまう。

と考えると、健康な大人の都内の移動は電動キックボードでも使って、そのままデスクの脇に立てかけておいた方がよっぽど効率がいい。

もちろんこれが悪天候だったり、ユーザーがハンデキャップを持つ人や高齢者なら、キックボードでは無理で、マイクロカーや耐候性を持たせた電動車椅子に正解があるかもしれない。いずれにせよ、個人の状況と、移動する場所の条件によって、MaaS的にその場面場面に応じた交通手段を適宜選択する方法に落ち着くはずだ。

そういう状況下で、自動運転の果たす役割は大きくみて2つある。1つは、ドライバーのバックアップだ。ドライバーが急病で意識を失ったり、進路上の何かを見落としたり、操作ミスなどを起こした場合、素早く自動運転が車両コントロールを受け取って、事故を未然に防ぐ方法だ。トヨタではこれをガーディアン型自動運転と呼び、マツダではコーパイロットシステムと呼ぶ。こういう仕組みは現在のADAS(高度運転支援システム)の延長線上にあるので、そう遠くない未来に実装されるだろう。

ドライバーは車内にいるし、不測の事態に備えるものなので、社会的ニーズも高い。ただし、ドライバー不要の無人運転車両とはコンセプトから全然違う。

●限定された場所で生きる自動運転

もう一点は限られた場所での自動運転だ。これはさらに2つに分かれる。多くの人にとって負荷が高いのは高速道路の長距離移動だろう。これに関しては、比較的自動化に近いところまできているように思う。例えば左端のレーンを自動運転と低速車のレーンにして、原則追い越しなしで運用する。自分で運転しているのでなければ、多少移動速度が落ちて運転時間が伸びてもあまり問題ない。運転という労働に従事しているからこそ、とっとと目的地に到着して開放されたくなるのであって、それがなくなれば少し早めに出発するだけでほぼ全ての問題が解決する。

モビリティに関する地域別の課題を区分けしてみると、解決法の1つとして自動運転車があり得る

またこの種の高速道路での自動運転は、数珠つなぎ自動運転なども含めて考えられる。例えばトラックドライバーの不足が叫ばれているが、先頭車両だけドライバーが運転し、追随する車両にはドライバーがいないというやり方はあり得るだろう。連結したクルマを電子的牽引車両だと定めてしまえば、条約の問題も解決する。

限られた場所での自動運転のもう1つは、過疎地の交通弱者の移動を担うものだ。これは時速6キロ以下の徒歩領域の移動手段だが、このくらい速度が遅いと、自動運転のリスクが極端に減る。ほぼ即時に止まれるし、そのためにあまり複雑なセンサーなども必要ない。こういう種類の車両については従来のクルマとは違うルールを策定することも可能だろうし、場合によっては特区扱いにして例外処理を行うことも可能だと思う。

過疎地の弱者の代表である高齢者へのソリューションとしてみれば、例えば認知に問題が発生した高齢者がどこまでも出かけてしまわないように、移動範囲に制限をかけることもできるだろうし、最悪リモート操作によって自宅へ連れ戻すことも可能だろう。特にアフターコロナで地方鉄道の廃線がこれからどんどん増えることが予想され、そうなれば、これまでラストワンマイルで済んでいた「個人が自己責任で負担する移動」がラスト10マイルくらいまで求められる可能性もある。こういう部分についてはMaaS的アプローチがより強く求められるだろう。

こうして見てみると、社会課題の解決のための自動運転は、それぞれ課題に密接した形で徐々に実現しつつある。だから自動運転化はちゃんと進んでいるともいえる。ただそれはSFじみた無人車両ではないというだけの話だ。

引用元;ITmedia

 


記事にある通り、テクノロジーそのものは徐々に進化しているようです。いままでメディアで取り上げられていたような、公道には無人カーしかいなくなる、というような夢のような話ではなく、現実路線になった、と言えるのかも知れません。公道は人も自転車もバイクも走りますし、場合によっては野性動物も走るようなカオス系であり、他の自然界と同様に複雑系です。

こうした複雑系を完全に制御した例は、人間界において未だにありません。例えば言語同士を翻訳する翻訳アプリ、翻訳ツールは近年進化してきてはいますが、100%の精度で意思疏通できる技術はありません。もしできれば、外国語を学習する必要はまったく無くなるはずです。他の例では、天気予報も現状においては「予報」にとどまっています。複雑系を完全に制御できるならば、予報ではなく「確報」になります。天気以外の災害予測なども、100%の精度にできるでしょう。これらの複雑系を未だに攻略できていない人類は、不確実な事柄を予測することはできても、100%の確率を担保することはできません。車の自動運転も同じです。公道というカオス系を完全制御することはできません。むしろ、生死に直結する車の自動運転よりも、命に関わらない言語や天気の方が、完全制御できるとしたら時期は早いのではないでしょうか。

「100%は無理でも、事故率が減れば良いのではないか」と考える方もいるでしょう。しかし、100%安全でないのであれば、人間が運転する車とさほど違いはありません。むしろ責任の所在が曖昧になることによって、不幸になる方のほうが多くなるでしょう。人間相手に傷つけられるよりも、無人の機械に傷つけられる方が受け入れがたい、と感じる人が多いからです。

記事にもあるように、無人化するような方向ではなく、ドライバーのミスをバックアップするような方向が正しいテクノロジーの進む先です。非科学的な夢物語ではなく、正しい方向へ自動化技術が進化し、車がさらに扱いやすい道具になることを望みます。

 

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